雑記ブログ。あと自論。名前はまだない。

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初代と二代目、二人の"高橋竹山"の物語:映画『津軽のカマリ』

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 今回は、大西功一映像事務所が企画・制作したドキュメンタリー映画津軽のカマリ』です。

 二代目"高橋竹山"と初代"高橋竹山"との思い出の地を巡りながら、三味線奏者の名人であった初代"高橋竹山"の生き様を辿っていくという内容です。

 映画を観たのは一週間程前になりますが、この映画は、とても情報量が多くて何を書こうかと考えている間に一週間経っちゃいました。(^^ゞ

 まあ、なんとかまとまりましたんで、記事にしていきたいと思います。

 

 

概要

「それを聴けば津軽の匂い(カマリ)が湧き出るような
そんな音を出したいものだ」

視力を失い、唯生きる為に三味線と共に彷徨った高橋竹山
苦難の世を渡った名もなき北東北の人々の魂が
三弦の音色とともに蘇る。

映画「津軽のカマリ」公式ウェブサイト

 

www.youtube.com

 

スタッフ

大西功一(製作、監督、撮影、編集)

onishikoichi.info

 

www.youtube.com

 

主な作品:

スケッチ・オブ・ミャーク [DVD]

スケッチ・オブ・ミャーク [DVD]

 

 

キャスト

高橋 竹山(初代)

初代・高橋 竹山(たかはし ちくざん、1910年6月18日 - 1998年2月5日)は津軽三味線の名人。本名高橋定蔵。一地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者である。演歌歌手北島三郎が歌った『風雪ながれ旅』のモデル。

高橋竹山 - Wikipedia

chikuzan.org

www.youtube.com

 

主な作品:

高橋竹山 魂の響き

高橋竹山 魂の響き

 
至芸の旅 初代高橋竹山メモリアル

至芸の旅 初代高橋竹山メモリアル

 

高橋竹山(二代目)

二代目 高橋 竹山(にだいめ たかはし ちくざん)は日本の津軽三味線奏者。1997年1月、「高橋竹与」改め「二代目・高橋竹山」を襲名。

高橋竹山 (2代目) - Wikipedia

www.chikuzan.jp

 

www.youtube.com

 

主な出演作:

Live Lab. 二代目高橋竹山

Live Lab. 二代目高橋竹山

 

 

"初代"と"二代目"、二人の"高橋竹山"の物語:解説&感想

※以降の記事の内容にはネタバレを含みますのでご注意ください。

門付け芸人初代高橋竹山津軽三味線

 「盲人は門付け芸人になる」というのが、初代高橋竹山の育った津軽という土地の古くからの習わしだったそうです。

 でも、門付け芸人だなんて最もらしい名前をつけても、結局のところは稲作の働き手として期待できない盲人に対する体のいい口減らしのお題目だったのでしょうね。江戸時代、青森(弘前藩)では稲作が奨励されましたが、本来寒冷により稲作には適さない土地柄だったため、たびたび凶作になり、その度に餓死者を多くの餓死者を出したそうです。

 24時間365日一生懸命働いてもこの有様なワケですから、とても労働力として期待できない人間を養う余力なんてどこの家にもなかったのだと思います。

 だから、三味線一本渡して放逐した。

 これを現代の価値観で残酷だというのは簡単ですが、盲人一人のために家族が共倒れするわけにもいかない。こうする以外他にどうしようもなくて、そしてそれは初代竹山が生まれた明治の終わりから大正にかけてもそうであったということなのだと思います。

 

 竹山はそのことをわかっていたのだと思います。そして自分の運命を受け入れた上で、その運命に抗った。

 そして、初代竹山にとって三味線を弾くことと生きることは同義になっていったのだと思います。

 

 初代の三味線の音はひとつひとつがとても重い。それでいて、まるで津軽の寒風のような鋭さがある。

 

 津軽の厳しい自然が、名人高橋竹山を育てたといえば聞こえは良いが、大変な苦労という言葉では簡単に片付けることのできない、常人にはとても想像もできないような過酷な経験をしてきたのでしょう。そして、その過酷な経験こそが、初代竹山の本質であり、竹山の三味線の音色の本質であったように思えて他ならない。そう思えます。

 

「私はね、自分で自分の罪を恨んでいる三味線弾いているんですよ。まあ、いいだろう

 

 初代竹山のこの言葉の真意を推し量ることは難しいですが、どこか、初代高橋竹山という人物の全てがつまった言葉のようにも聞こえてくるから不思議です。

 楽器を奏でること、三味線を弾くことが生きることそのものであった初代竹山だからこそ辿り着くことができた境地を目の当たりにした。この映画はそんな気持ちを抱かせてくれます。

 

三味線名人初代竹山と二代目竹山

  nakaticoは普段三味線を聴くこともなければ、楽器を弾くこともありません。

 それどころか、高橋竹山のことも今回この映画を観て初めて知ったクチでして…(^^ゞ

 

 ただ、これだけはハッキリ言えます。二代目竹山も間違いなく素晴しい三味線奏者であり、優れた音楽家です。

 そもそも、そうでなければ、とても二代目高橋竹山なんて名乗れませんよね。(^^)

 

 ただ、映画の中でひとつ気になったのですが、二代目竹山が初代竹山に対して引け目のような感じているように思えたところですね。

 初代竹山の故郷であり、津軽三味線の本場でもある青森県では、未だに二代目竹山を"高橋竹山"として認める人は少ないのだそうです。

 まあ、初代竹山はまるで津軽三味線のような男だったので、多少はしょうがない部分もありますが、それにしても二代目竹山も初代竹山の没後から2016年まで青森で一度も演奏会を開いたことがなかったそうです。

 しかも、映画の時間軸では、二代目竹山は青森に帰ってくるのさえ5年ぶりだという念の入れよう。

 実際には複雑な事情があるのかもしれませんが、傍目には二代目竹山自身も初代には遠く及ばないと暗に認めているようにしか見えない。

 

 初代竹山直々の指名で、二代目として”高橋竹山”を受け継いだのだのだから、謙遜なんかせず、もっと堂々としても良いのにとも思うワケですが、もしかすると、偉大な初代の名前を受け継ぐというのは外から見ているだけではわからない重い責任と重圧があるのかもしれません。

 

 映画のクライマックスで、2016年に青森で開催された二代目竹山の演奏会のシーンが入ります。

 

 初代に対して、二代目竹山の心情が語られることは、劇中ではそれほど多くはありません。

 ですが、青森の演奏会での二代目竹山のどこか清々しさすら感じる三味線の音色は、言葉以上に多くのものを語っているように感じる。

 

 "高橋竹山"が青森に帰ってくるまでに20年という歳月が掛かりました。でも、この重ねた20年という歳月が決して無駄ではなかったなかったことを祈りつつ、二代目竹山の今後の活躍を影ながら応援したいと思います。