雑記ブログ。あと自論。名前はまだない。

しばらくは書きたいと思ったことを書いていきます。脈絡のないブログになると思いますが、よろしくお願いします。

本当に「誰もが幸福になりたい」のか?

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 100分de名著で、ちょうどラッセルの幸福論をやっているので、ちょっと幸福について日々思っていることをまとめてみたいと思います。

 

 人の話を聞くのが好きなので、良くセミナーや講習、トークライブなんかに行くのですが、行った先でこんなふうに講師が受講者に尋ねることがあります。

「誰でも幸福になりたい。幸福になりたくない人間なんていないですよね?」

 と。これに対して、

「いや、そんなことはない! 俺(私)は幸せなんかになんかなりたくない!」

 と、完全に否定する人もまずいないんじゃないかと思います。

 大体、みんな肯いて聞いていますね。

 

 …ですが、これは私が思うに少しズルイ設問で、受講者は実際にはそんなことは思っていないんじゃないじゃないかと思います。

  というのも、そもそも私はこう思うわけです。

 

「世の中の大半の人間は、幸福になりたいと思っていなければ、幸福になろうともしていない。」

 

 というのも、私もこれまでの人生経験の中で、本当に数多くの人が自分が何故不幸なのか、自分の身に起こった不運がどれほどのものだったのかを雄弁に語り、そして不平不満を言って、不機嫌な顔を当たり前のように見せる姿を見てきました。

 彼ら(彼女ら)は、それこそ懸命に自分の幸福への望みがいかにして絶たれたのか、自分が何故そんな状態にあっても何の行動も起こさないのかを、別に頼んだわけでもないのに一生懸命になって説明してくれるわけです。

「自分が幸福でないのは、自分の責任ではない。自分以外の誰か(何か)が悪いのだ。」

 と、そういう人の姿を見ていると、私にはとても、

「誰もが幸福になりたい。幸福になりたくない人間なんていない。」

 とは思えないわけです。

 じゃあ実際に多くの人はどう思っているのかというと、

「自分にも幸福になる権利がある。」

 というのが本当のところだと思います。

 

 この「自分にも幸福になる権利がある。」という感情は「幸福になりたい。」という感情とは全く違う感情なのですが、一見すると似ているので、

「誰もが幸福になりたい。幸福になりたくない人間なんていないですよね?」

 と聞かれると、思わず肯いてしまうんだと思います。

 不平不満を当たり前のように口にして、常に不機嫌でいるということ自体が、「自分の不運や不幸にすがって生きている」と言えるのですが、そんな生き方が当たり前になってしまうと、まさかそれが悪いことだとも思えなくなってしまうんだと思います。

 そして、幸せがどこからか転がり込んでくることだけを期待するようになるんでしょうね。

 彼(彼女)らにあるのは、「自分にも幸福になる権利がある」という漠然とした思い込みと、その幸運は誰か(何か)のせいで不当に搾取されているという被害妄想だけなのでしょう。

 

「幸福とは誰かから与えられるものではない。自ら獲とくすべきものである。」

 

ラッセルは本当にうまく言っていると思います。

 

…ただ、幸福にもいろいろあります。

次回はそのことについてちょっとまとめてみたいと思います。

 

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