雑記ブログ。あと自論。名前はまだない。

気がついたら論語を読んだ感想がメインのブログになってしまいました。そのうち何とかします。後、下らない小話的自作小説も書いていますのでお時間があれば是非!

論語 八佾第三2『三家者以雍徹、子曰、相維辟公(相くるは維れ辟公)』

原文:

三家者以雍徹、子曰、相維辟公、天子穆穆、奚取於三家之堂、

読下し文:

三家者、雍を以て徹す。子の曰わく、相(たす)くるは維(こ)れ辟公(へきこう)、天子は穆穆(ぼくぼく)と。奚(な)んぞ三家の堂に取らん。

現代語訳:

三家では、廟(おたまや)の祭りに雍の詩を歌って供物を捧げていた。先生はおっしゃいました。「雍の詩には『政を助けるのは諸侯達、天子は玉座にあって威厳を正している』とあります。雍の詩は天子の祭りごとで使われるもので、三家の祭りで歌われるような性質のものではありません。」

 

 今回の論語でいう三家とは、魯の公室の一族で、孟孫、叔孫、季孫という三家をことをさしています。

  雍の詩とは『詩経』周頌の篇名で、全文は以下になります。

 

有來雝雝,至止肅肅。相維辟公,天子穆穆。於薦廣牡,相予肆祀。
假哉皇考,綏予孝子。宣哲維人,文武維后。燕及皇天,克昌厥後。
綏我眉壽,介以繁祉。既右烈考,亦右文母。

 

 前回に続いて今回も、その身分にないものが思い上がって礼を失した行動をする。それに対して孔子は怒るという構図ですね。

 このことがよっぽど癪に障ったのか、孔子がその後魯国の大司冦(法務大臣)になったとき、この三家を取りつぶそうとまでしたそうです。失敗に終わったそうですが……。

 なぜ孔子が礼を失した行動に怒っているのかというと、下のものが上のものを敬わなくなれば、組織や社会、国家が乱れるという危惧があったからでしょうね。

 現代的にいえば、学校の先輩や会社の上司が嫌な奴でも、だからといって敬意を払わなくても良いということにはなりません。

 どんな人間に対しても払うべき敬意というものがある。それがなくなれば組織が空中分解するのは過去でも現代でも同じです。お気を付けください。

 

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