雑記ブログ。あと自論。名前はまだない。

しばらくは書きたいと思ったことを書いていきます。脈絡のないブログになると思いますが、よろしくお願いします。

「障害者に冷たい社会」の正体

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  早いもので、7月26日で戦後最大の大量殺人事件といわれる相模原障害者施設殺傷事件から一年が経ちました。

 

www.nikkei.com

  そして、それももう先週の話なんですよね。いやはや本当に時が経つのは早いものです。(^^ゞ

 

 その日のNHKニュース解説番組「自論公論」では、事件から一年経ったやまゆり園再建の行方が取り上げられました。

 

www.nhk.or.jp

 その番組内で、こんな話がありました。

「犯人に共感する意見が多数ネットに書き込まれ、世間が驚愕させた」と。

 何でも、事件当時、若者を中心に一部で犯人に共感する声があったそうです。

 私も、それなりのネットジャンキーのはずですが、普段見ているサイトが悪いのか(良いのか?)、そんな意見を見たことなかったので驚きました。

 でも、同時に「まあ、そういう意見も当然あるだろうな」とも感じました。

 

 もちろん、事件そのものも、それに共感する声があったことも悲しいことです。そしてそれを「悲しい」とか、「けしからん」とか、「不謹慎だ」とかという言葉で片付けるのは、ある意味では簡単なことです。

 ですが、そこでふと思ったわけです。

「そもそも、障害者福祉とはいつ頃からあったのだろうか?」と。

 障害者福祉の社会的、歴史的な意味合いとその価値は何なのか? 少しだけ考えてみたいと思います。

 

意外と歴史が深い日本の障害者福祉

 さて、まずは人間以外の動物は、一匹(一体あるいは一羽)で生きていく力がない、あるいは群れに貢献する力のない仲間を養うほど余力のある動物は恐らくいないでしょう。(ご存じの方は是非教えてください!(>_<))

 また、人間でも石器時代は働けなくなった老人は、仲間達たちから離れて一人で死を迎えたと前に呼んだ歴史の本には書かれていました。働けない老人がNGで、働けない障害者はOKということはおそらくないでしょう。

 現在でも原始的な生活を続ける少数民族は、おそらくほとんど狩猟採集した食料を集落全体で分け合う、原始共産主義だと思いますが、そのような集落はどこでも、大人になるために厳しい試練に挑まなければなりません。働かなくても生活が保障されてしまう制度だからこそ、臆病や怠惰は人間の最も恥ずべきことだと子供に教え、勇気や名誉をより一層重んじることで、働き手を確保し、集落を維持したわけです。

 このような制度のなかで“大人になる能力”を持たずに生まれてきたものは長く生きることは許されなかったのではないかと思います。

 彼らの風習を見ていると、原始社会はずっとそのようにして集落のを維持してきたように感じられます。

 ところが、ネットとでちょっと調べてみると、何と日本では縄文時代にはすでに障害者を支援する仕組みがあって、その福祉支援の中で障害者は生き、そして埋葬されていた痕跡があるんだそうです。

 縄文時代は、最近発掘と研究が進んで、それまで考えられていたよりもずっと文化レベルが高かったことがわかってきましたが、これには正直驚きました。

 盲人の方は、目が見えないというハンデの代わりに、記憶力が人一倍高いそうです。盲人はそのアドバンテージを利用して、集落の記憶係を務めていたそうです。文字のない時代の人間は、全てを自分の頭に記憶しなければならなかったために、文字をもった人間と比べてとても記憶力が高かったそうですが、さらに記憶力が高いわけですから、普段から忘れっぽい私みたいな人間には想像もつかないほどの記憶力だったんでしょうね。

 多分、一度聞いたら憶えられるとかいう、そういうレベルの人ですね。

 盲人は、情報や歴史、文化などを記憶し、そしてそれを同じ集落の人々に伝えることを役目を持っていた。

 なんと、縄文時代では障害者である盲人の方が、集落の中で文化の主な担い手となっていたとは驚きです。

 他の障害者については、詳しいことはわかりませんでしたが、上記の例から何かしらの能力を活かして、集落に貢献していたんじゃないかと思います。

 あとは重度の障害者ですが、縄文時代は医療技術も高くはないので、さすがに早く亡くなったんだと思います。

 しかし、少なくとも障害者だからという理由だけで、すぐに殺してしまうということはなく、さらには活躍の場まであったということは、縄文時代にはすでに職業の多様性というものが存在していて、その多様性の中で、障害者は集落の一員として受け入れられていたということではないでしょうか。

 このことから障害者福祉とは、人類文明の根本である、人間の多様性を認めるという文化や寛容さの表れなのではないかと感じられます。

 

障害者が排除される時、社会では何が起こるのか

  因果応報という言葉があります。良い行いには良い報いが、悪い行いには悪い報いがあるというお馴染みの仏教用語ですが、現代は悪い意味で使われることが因果応報ほとんどです。

 日本に仏教が入ってきた時、この因果応報という考え方も入ってきました。そして仏教発祥の地であるインドと同じように、障害を持って生まれてくるのは、前世で悪い行いをしたからだという思想と結びつきました。

 まあ、セットで入ってきたんでしょうけどね。ただ、日本でもその思想が、特に違和感を持たずに受け入れられたというのもまた事実です。

 奈良時代には障害者のいる農家の世帯に対して、税金の優遇措置があったりしたことから、単純な労働力としてはマイナスであると昔から考えられていたようですが、主に文化方面に活躍の場を持っていた障害者が、まさかその文化によって差別を受けることになるとは皮肉な話です。

 

 また、近代には障害者を排除しようとする政策を実施した国家現われます。

 そう、ナチス政権下のドイツです。

 障害者を排除しようとしたナチスの言い分は以下のようなものでした。

『我々は、人類の最優良種であるアーリア人の優位性を後世にまで保つ義務がある。この優位性を保つためには、アーリア人の純血を守り、遺伝的に劣ったものはものは、ドイツ社会から排除しなければならない。』

 こうして当時の障害をもったドイツ人は、収容施設に集められて虐殺されました。

 さらに、この障害者を虐殺したノウハウは、後にユダヤ人の収容施設の運用に活かされていきます。

 当時のドイツ人は、障害者が直面した悲劇を 詳しくは知らなかったと思います。しかし、何かしらの異変は誰しも感じていたでしょう。しかし、誰もナチスの暴挙を止めることはありませんでした。

 国家のイデオロギーが、障害者を排除することを許すという愚行も、現実に起こり得るのだという良い(悪い?)見本です。

 そして日本の戦時中でも、障害者は激しい差別にさらされます。

 お国の役に立って戦うこと(そして死ぬこと)ができるかどうかが、人間の尊厳にまで高められていた、国家全体が歪んだ愛国心に染められた時代です。

 『戦ってお国のために役立つことができないのであれば、せめて死んで(健常者の負担を減らすことで)、お国の役に立て。』

 と言われていたであろうことぐらいは容易に想像がつきます。

 国家が、その国に生きる国民が、ひとつのイデオロギーを盲信する時、またはただひとつの生き方だけが過大に評価されるようになった時、障害者は厳しい差別にさらされることになるようです。

 障害者は独善的な思想の前には、非常に弱い立場に立たされてしまいます。

 

 社会に多様性が担保されているからこそ、障害者は自由に活躍できる。

 

 だとすれば、障害者が健全に生きられるということが、健全な文明社会であるかどうかの試金石になるのではないでしょうか?

 

現代は、果たして障害者に冷たい社会なのか?

 これに関しては、私は正直何とも言えません。私自身は障害者ではありませんし、周りにも障害者といえるような人はいません。

 実体験も実感もないものは、さすがに語ることはできません。

 ただ一年前、どうして若者を中心に犯人に共感する声があったのかについては、上の考察をもとにして考えてみると、

 

 生き方を選ぶことのできない現代の若者の閉塞感が投影された結果。

 

 ということが一つ言えるんじゃないかと思います。

 他人への不寛容とは、結局は自分への不寛容さの屈折した表れでしかありません。

 自分自身の生き方の多様性を認めていない。生き方の選択肢を自分自身に与えていない。

 ということが、現代の日本の社会にもまだ確実にある。いや、ひょっとすると増えているかもしれないというのが今の日本の現実であり現状なんだと思います。

 そしてそれは、ただ単に若者だけが悪いわけではないと思います。社会全体が、若者に対して多様な生き方を認めてこなかった。

 一年前の事件は、そうした実態が、表面の現実に吹き出したことで引き起こされた事件のようにも思えてなりません。

 

 ※当方の歴史解釈に誤りがあれば、ご連絡いただけると助かります。

 

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