雑記ブログ。あと自論。名前はまだない。

気がついたら論語を読んだ感想がメインのブログになってしまいました。そのうち何とかします。後、下らない小話的自作小説も書いていますのでお時間があれば是非!

論語 為政第二20『季康子問、使民敬忠以勧(民をして敬忠にして以て勧ましむるには)』

原文:

季康子問、使民敬忠以勧、如之何、子曰、臨之以荘則敬、孝慈則忠、挙善而教不能則勧、

読下し文:

季康子問う、民をして敬忠にして以て勧ましむるには、これを如何。子の曰わく、これに臨むに荘を以ってすれば則ち敬す、孝慈ならば則ち忠あり、善を挙げて不能を教うれば則ち勧む。

現代語訳:

季康子が「人民が、誠意をつくして仕事に励むようにするにはどうしたらよいでしょうか」と尋ねました。先生はおっしゃいました。「権力を濫用して無理矢理従わせようとしても、国民が仕事に励むことはないでしょう。しかしあなたが慈悲深く人民に接するならば、人民はあなたに忠実に従ってくれます。そして優れた人物を登用して、そうでない人達の指導に当たらせれば、仕事に励むようになります。」

 

季康子

 魯の家老。李孫氏、名は肥。康はおくり名。哀公四年に季桓子のあとを相続した。

*1

 

 信賞必罰という言葉があります。功績を上げたものには報償を与え、罪を犯したものは必ずべきだというものです。

 これは、国家や組織を運営する上で必要不可欠なことだとではあると思います。

 子供だった、悪いことをしたのに叱らないでいると、どこまでやっていいのか自分で判断ができない人間になってしまい、十分な社会性が身に付きません。

 ただ、この信賞必罰でもさじ加減は重要です。

 人間は、成功もすれば必ず失敗もします。もしこの失敗を過剰に糾弾すれば、その人は萎縮(もっといえば虚勢)されて、チャレンジする意欲もなくしてしましますね。

 この信賞必罰でも、それを施す人間は与える人間に対して、思いやりをもって行う必要があると思います。

 賞を与えるならば、受け取った人間がそれを励みにしてまた頑張ろうと思えるようにするだけでなく、それを見た周りの人間もやる気になるような方法を。

 罰を与えるならば、それを受けた人間が、ふて腐れることなく、これを戒めにして、また明日から心を入替えて頑張ろうと思えるようにフォローも忘れない。

 人間は、お金や報償が貰えるからがんばるわけではない。居場所があるから、必要とされているからがんばれるということを、例え少数でも上に立つ人間であれば忘れないでいてほしいと思います。

 

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論語 (岩波文庫 青202-1)

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*1:論語 (岩波文庫 青202-1)抜粋