雑記ブログ。あと自論。名前はまだない。

気がついたら論語を読んだ感想がメインのブログになってしまいました。そのうち何とかします。後、下らない小話的自作小説も書いていますのでお時間があれば是非!

論語 為政第二18『子張学干禄、子曰、多聞闕疑(多く聞きて疑わしきを闕き)』

原文:

子張学干禄、子曰、多聞闕疑、慎言其余、則寡尤、多見闕殆、慎行其余、則寡悔、言寡尤行寡悔、禄在其中矣、

読下し文:

子張、禄を干(もと)めんとを学ぶ。子の曰わく、多く聞きて疑わしきを闕(か)き、慎みて其の余りを言えば、則ち尤寡(とがめすく)なし。多く見て殆(あや)うきを闕(あざむ)き、慎みて其の余りを行なえば、則ち悔寡(くいすく)なし、言に尤寡なく、行に悔寡なければ、禄は其の中に在り。

現代語訳:

子張が俸給をとるための方法を学ぼうとしていました。先生はおっしゃいました。「多くの意見に耳を傾け、疑わしいと思うことはやめなさい。それ以外の自信の持てることを慎重に口にすれば、あやまちは少なくなります。多くのことを見て、殆ういことは止め、それ以外の確実なことを慎重に実行していけば後悔も少なくなるでしょう。言葉に過ちが少なく、行動に後悔が少なければ、俸給は自然に得られるものです。」

 

 

子張

 孔子の弟子の一人。本名は顓孫師(せんそん し)。顓孫が氏、師が名、子張が字。
 孔門十哲のなかに子張は含められていないが、『論語』では子路・子貢に次いで出現回数が多く、子張篇の冒頭3節では子張の言葉を伝えているなど、きわめて重要な弟子であったと考えられる。また、『韓非子』顕学篇には儒家八派のひとつとして「子張の儒」があったことを述べている。同じ学派は『荀子』非十二子篇では「子張氏の賤儒」と非難されている。
礼記』檀弓上には、子張の子の申祥、および子張の弟子の公明儀の名が見える。

子張 - Wikipedia

 

 え~、私は現在就職活動中なのですが、どうも最近わかったことは自分の好きなことに打ち込んでいると、自然と収入を得る方法が見つかるみたいです。

 それに対して、ただ収入の得るために、別に対して興味のないことを続けていても、大した収入は得られません。

 まあ、不公平といえば不公平ですね。

 ただ、好きなことをする→お金を得るというのも、ある人にとっては簡単なことですが、ある人にとっては難しいことでもあるみたいです。というのは、「自分の好きなことをしろ」と言われても、それを素直に実行できる人というのもまた限られているわけですね。

 特別「好きなこと」というものがない人は、「好きなこと」をしろというと、普段の仕事や生活のストレスを晴らすことをことをまず考えます。これを自分の「好きなこと」だと勘違いしてしまうわけですね。これは自分に対して巧妙に誤魔化されているので、なかなかその違いに気がつきません。

 ただ憂さを晴らすためだけのことを続けても、結果はでないわけです。

 憂さ晴らしというのは、たまにやるから良いのであって、それをずっと続けるとなるとまた別のストレスが現われます。

 少し前に日曜美術館でヌイ・プロジェクトの活動が取り上げられたのですが、その番組ないで、確か福森伸さんだった思うのですが、こんなことをおっしゃっていました。

「物事を続けられるのは、根気があるからではなく、快適があるから」

 毎日、朝から晩まで続けていても、全く苦がない。それどころからまた明日が来るのが待ち遠しいというのが「好きなこと」なわけです。

 これで成果がでないわけがない。

 もし、好きなことをしているハズなのに毎日が苦しいという方がいらっしゃったら、少しだけ立ち止まって、慎重に自分の行動について振り返ってみる機会なのかもしれません。ひょっとすると、それは周りの人間にとっては価値があることでも自分にとっては価値のないものなのかもしれませんし、自分の本当に好きなこととは少しズレているのかもしれません。

 そうみると、「好きなことを見つける」というのが、自分の人生にとって一番の難事業なのかもしれません。

 

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