雑記ブログ。あと自論。名前はまだない。

気がついたら論語を読んだ感想がメインのブログになってしまいました。そのうち何とかします。後、下らない小話的自作小説も書いていますのでお時間があれば是非!

論語 為政第二17『子曰、由、誨女知之乎(汝に之を知ることを誨えんか)』

原文:

子曰、由、誨女知之乎、知之為知之、不知為不知、是知也、

読下し文:

子の曰わく、由よ、汝にこれを知ることを誨(おし)えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。

現代語訳:

先生はおっしゃいました。「由よ、お前に『知る』ということを教えましょう。きちんと知っていることを"知っている"とし、きちんと知らないことをは”知らない”としなさい。これが『知る』ということです。」

 

子路

 孔門十哲の一人である。姓は仲、名は由であるが、『論語』では字の子路をもってしばしば言及される。季路とも呼ばれる。また、二十四孝の一人に選ばれることもある。

子路 - Wikipedia

 

 簡単にいえば、「知ったかぶりをしてはいけないよ」ということですね。

 スマホが普及した現代は、知らないことでもネットで調べればすぐにわかってしまう時代ではありますね。でも、知らないことをネットで調べたからといって、本当の意味で知っているということにはなりません。

 本来知識というのは、実用の為の道具であって、ただそれだけで価値があるようなものではありません。必要な時にさっと取り出しで使用できなければ、本当に身に付いているとはいえないわけです。

 ネットでちょっと調べただけでは、本当の意味で「知っている」ということにはならないわけですね。

 これが、学校教育のせいかもしれませんが、現代ではどうも知識というものが過大に評価されているように思えます。

 学校では、それがどういう意味を持っているのかも十分に教えないまま、あるいは教員も十分には知らないまま、生徒達にそれを教え、それをちゃんと憶えているかどうかをテストすることで、生徒を評価するというのが一般的だと思います。

 このせいで、知るというのが本来どういう意味なのかが、分りにくくなっている原因のように思えます。

 "知っている"というのも、"知らない"というのも、本来単なる情報に過ぎません。人間は一人で生きているわけでもなく、一人で何でもできないと行けないわけでもありません。

 他人とうまく協力するためは、自分は何を知っているのか、何を知らないのか、何が得意なのか、何が不得意なのかをちゃんと知っておくことが一番の近道なんじゃないか思います。

 

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論語 (岩波文庫 青202-1)

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