雑記ブログ。あと自論。名前はまだない。

気がついたら論語を読んだ感想がメインのブログになってしまいました。そのうち何とかします。後、下らない小話的自作小説も書いていますのでお時間があれば是非!

SS小説「アレルギー源」

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「こちらが、今回の検査結果になります。」

 と気多(けた)は、診察室の子供の隣の丸椅子に座った女性にさっそく検査報告書を渡した。

 そして自分は机の上のモニターに映し出された検査結果を見ながら言った。

「前回おっしゃったとおり、確かにお子さんには多くの食べ物に重度のアレルギーがみられますね。」

 

  気多は別のモニターに出していた子供のカルテを見やってから、老眼鏡をかけ直し、女性の方へと向き直った。

「少し前まで、幼児期にアレルギーになりそうなものは一切与えないというのが、アレルギー予防の唯一の方法だと信じられてきましたからね。別に"お母さん"が間違っていたわけではありません。特に日本では……ほら、春先にテレビで杉から大量の下付が飛散する映像を、毎年のようにテレビで見るじゃないですか。あんな映像、誰も見ていて気分の良いもんじゃありませんよ。テレビ局は何だってあんな映像を流すんでしょうね? あれじゃあ誰だって花粉を吸い込むからアレルギーになるんだって信じますよ。」

「無責任なことを言わないでください!」

 と、突然ヒステリーを起こして椅子から立ち上がった女性に、気多は「おっ」っと、少したじろいだ。

「お母さん、落ち着いてください。」

「落ち着いてって……"あなた達"はいつもそうじゃないですか!」

 気多が渡した検査報告書は、強く握りしめられたことで、すでに女性の手の中でクシャクシャになっていた。

 女性の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

「医者である"あなた達"が、それが正しい方法だと言うから、私はそれを信じてこの子の食事に細心の注意を払って、今まで育ててきたんです! それが今更、それが間違いだったって言われて、じゃあどうしろって言うんですか!? この子は、"あなた達"のせいで、私よりもずっと酷いアレルギーに苦しんでいるんです! 卵も牛乳も小麦も蕎麦もダメ、ピーナッツもごまも大豆も食べさせられなくて、どうやってこの子を育てろって言うんですか!?」

「ママ、泣かないで?」

 と、女性の息子が自分も泣きそうになりながら彼女の袖を掴むと、女性はハッと我に返って、再び椅子に座った。しかし落ち着いたというわけではなく、自分の怒りの持っていく場所を見失ったという感じだった。

 気多はそんな彼女の様子に、やれやれと頭をかいた。

「医者だって人体に起こることの全てを知っているわけではありません。その時その時で有効だと思える方法で患者を治療するしかないんですよ。もっとも私は、かつてのアレルギー治療法には懐疑的でしたが…でも、あなたはそれを信じて実行した。」

「先生は、私が悪いとおっしゃるのですか?」

「いえ、そういうわけではありません。ただ、定説というものにはなにか、抗いがたい魅力のようなものがあるのでしょうね。昔の人間には地球は球体ではなく平らなものでしたし、動いているのは大地の方ではなくて空の方でした。定説とは共通認識のことなんでしょうな。ですが、コロンブスコペルニクスガリレオもそうですが、何事にもマイノリティというのはいるものです。現代でも地球は平面で、動いているのは空の方だと信じている人が実際にいるんですよ? 私も、あなたが息子さんにやったようなアレルギー予防法にはずっと疑問を呈してきました。ですがほとんど相手にされてこなかった。残念ですが、少数派の声というのはいつの時代でも小さいものなんですよ。」

 気多の言葉は淡々としたものだったが、女性の反論する意欲をそぐには十分だったようだ。女性は、やり場のない怒りをぶつける相手がほしかったのだろう。だが気多の仕事は彼女のはけ口になることではない。

「先生、私はこれからどうすれば良いんですか? このままじゃあ、この子があまりにも可哀相です。」

「アレルギーとは、お母さんもよくご存じだと思いますが、症状とうまく付き合っていくしかありませんね。テレビなんかでは経口免疫療法が、持ち上げられていますが、あれはまだまだ研究段階ですし、決して即効性のある治療法ではありません。アナフェラキシー反応を起こす危険性だってまだ十分にあります。まだまだ過度な期待はしないことです。あなたもアレルギーで苦しんできたのなら良くおわかりでしょうが、陽性反応があるものは絶対に与えないでください。」

「はい……」

 と言った後、女性は深いため息を吐く。おそらく女性は医者からこういわれることは最初から予想できていたのだろう。だが、どこかで新しい、画期的な治療法があることを期待していたのかもしれない。だが、そんな淡い期待もみごとに打ち砕かれた。ため息にはそんな哀愁の色が含まれていた。

「先生、私と息子も、なんでこんな重いアレルギーに苦しまなければならないんでしょう?」

「それはまた、難しい質問ですね。」

 気多はしばらく考えてから言った。

「お母さんは、例えば自然という言葉にどんな印象をお持ちですか?」

「自然……ですか?」

 女性は少し考えて、そしてさっきとは打って変わって控えめな口調で言った。

「すみません。どういうことですか?」

「いやなに、別に深い意味なんてないんです。例えば並木なんかをみて、私たちは自然があると思いがちです。あるいは海でダイビングをして、あるいは登山に行ったりして、自然とふれあった等と感じている。私たちは、いつから自然が自分の外にあるもののように考えるようになってしまった。ですが、本来の自然とはそうではない。私たちも自然の一部であり、自然と切り離すことはできない。自然は私たちと常に共にあるわけです。ですが私たちは、人工物に囲まれた都市の中で暮らすようになって、いつしかそれを忘れてしまった。そして自然を遠ざけ、不自然の中で暮らすようになった。私たちの体は、脅迫的に清潔であることを求めて、私たちの文明と同じように自然を遠ざけ、どんどん不自然な存在になりつつある。今我々が苦しんでいるアレルギーとは結局、我々の自然に対するアレルギー反応の表れだということです。」

 「では先生は、人間が文明を捨てて、原始的な生活に戻れとおっしゃるのですか? そんなこと無理ですよ。」

 女性の言葉に、気多は笑ってうなずく。

「わかっていますよ。ですが我々は、もはや我々の自然に対するアレルギーともうまく付き合っていく必要があるのかもしれませんね。」